休む勇気と休まない勇気

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shaukingによるPixabayからの画像
  • ケガをしているのだけど試合や練習を休むかどうか、悩んでいませんか?
  • ケガをしているのだけど練習を休むと下手になるのではないかと、不安を抱えていませんか?

この記事は、「休む勇気」についての雑感です。


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それは勇気か?

よく「休む勇気がないから、休まずに参加する」みたいな表現を耳にします。でも果たしてそれは”勇気”の問題でしょうか?

例えば、

  • ここで休めば、1週間で完治することが分かっている
  • ここでプレイすれば、悪化して治療期間が倍になる
  • ここでプレイすれば、慢性的に不調を抱えることになる
  • ・・・

こんな感じで、”休む/休まない”について結果が分かっていれば、それは勇気ではなく判断に過ぎないでしょう。

結果が分からないまでも、見込みについて分からないから悩み、悩んだ末、見通せない結果について「悪い結果について受け入れる覚悟は無いけど、そうならないことを祈りながらプレイすることにする」みたいな感じなのではないでしょうか。

もちろん、休むことに勇気がいるのは「競技スキルが失われて下手になる」という恐怖に支配されている部分はあると思います。

医師の判断

チーム・ドクターなどいるはずのない市民プレイヤーにとって、医師はいわゆる町医者しかいません。

普通の開業医が、患者がプレイしたい競技について十分に理解していることは稀です。患者のプレイ内容についてなど、知る筈がありません。

そのような状況の中で、プレイについてOK/NGをコメントするとしたら、NGに決まっています。町医者は「OKしてしまって悪化する」よりは「安全のためNGとしておく」に決まっています。

さて、練習熱心な市民プレイヤーの面白い文章がありました。

練習を休む勇気があればいいのだが、僕にはそれがない。
多分一流のアスリートは、練習しない勇気があるのだと思う。使い古された言葉だと、メリハリだ。
一方の僕はほぼ毎日練習しているが、毎日練習することが目標になって満足している感じがしなくもない。
一流と二流の差は、休む勇気の有無なのではないかと考えている。

休む勇気、やらない勇気がない(二流の証) から引用

確かに適切に休める優秀なプレイヤーは存在するでしょう。でも、多くの一流プレイヤーには、チーム・ドクターがいてドクターの許可が必要です。

NBAのステファン・カリーなんて、練習禁止を命じられたりするし、その一方で、試合中の脱臼は(一旦ロッカーに下がってレントゲンで骨折がないことを確認した上で、副え木とテーピングをして)試合に戻れます。

復帰については、チームドクターにプレイイングタイムを制限されながら、戻っていく選手ばかりではないでしょうか?

これらは”勇気”ではなく、”判断”を受け入れているに過ぎないと思うのです。

プロトレーナーから見ると

プロトレーナー(鍼灸師と日本体育協会公認アスレティックトレーナー)の記事が良くまとまっていて、読みやすいです。是非、ご覧ください。

『日本の選手がよく言う、「練習を休むと下手になる」は本当なのか?』
今回のテーマは皆さんと一緒に考えられたらと思って書いております。  以前も別の記事で書いたことがあるのですが、 日本に昔から強く蔓延っている悪しき考え方の1…

気になったところを引用します。

皆さん、骨折のような外傷の場合は、すんなり諦めがつく(気持ちの切り替えができる)からかわかりませんが、比較的無理をすることなく休みますよね?
まあ、折れていたりして痛すぎて物理的にも動けないのもあるとは思いますが、、、(笑)
ですので、皆さんの頭の中には、骨折、脱臼、靭帯損傷etc..=治るまで休む!ということは頭の中にあるのだと思います。

ですが、障害に対してはどうでしょうか?
日本の場合(特に中高生の育成年代)では、痛みがあるのに、他の選手と差をつけられたくないから、痛みを抱えながらプレーをする。
場合によっては痛み止めを飲みながらプレーすることが当たり前になっている感じがします。

骨折で指が固定されているのに、バスケットボールの試合に出ている人を見たことがありますし、脱臼でプレイしている人は大勢います。それが現実です。治るまで休んだりしません。

痛み止めの服用も良くあることです。まぁ、我々の近くにはプロトレーナーはいませんので、プロトレーナーからは知る筈の無い世界かもしれません。

なお、引用記事の主旨は、「適切に休んで、治療&回復期に身体の使い方を学びましょう。休んでいる期間、プレイできなくても学ぶことはできます」という感じです。正しいことが簡潔にまとまっていると思います。

年寄りの世界

年を取って実感することは、どこも痛くない日などありません「どこかが不調なときはプレイしない!」なんて規則を設けたら、プレイできるときはほぼありません。周りの皆さんに聞いても概ね同様です。

無理してプレイした経験から「この程度ならほとんど悪化しない」とか、「ここでやめておけば、次回も(治らないけど)プレイできる」など、年寄りには、予測できる結果の持ち合わせがあります。

また、年寄り特有の感覚として「ここで選手生命を絶たれても、そもそも生物としての生命も・・・」という覚悟があるかもしれません。

年寄りの世界は、医師やトレーナーの眼が届いてなさそうです。もしかしたら、成長期の若者についてより、倫理的な問題があるもかもしれません。

”生涯スポーツ”みたいな名目で議論されることがありますが、現実は間違いが多過ぎて空論になっているかもしれません。

  • 町医者は現実を知らない状況で、症状だけでコメントを求められるから安全を見過ぎるかも
  • 町医者との信頼関係は築けないから、正直でない年寄りばかりなのでは?
  • 年寄りのプレイヤーは、無茶な経験を積み過ぎていて、無茶を繰り返しているかも
  • 年寄りのプレイヤーは、先行きの無さによる無謀な覚悟があるかも
  • プロトレーナーなどからは、見えていない現実があるかも

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