台風15号、あるいはそれ以外の被害にあわれている方、お見舞い申し上げます。特に、千葉県ではライフラインの復旧に従事されている皆さま、お疲れ様です。
千葉県の被害については、テレビなども取り上げていますが、十分には報道されていないように感じます。復旧が見込み通りに進まずに、少しずつ延びています。良くないことばかりなのですが、ある程度注目された被害と復旧作業になると思いますので、その内、ジャーナリストや研究者が未来に向けての警鐘を鳴らしてくれることを期待します。
さて、もっとずっと小さな被害なんだけど、被害状況が不明で、復旧の取り組みがナゾなため、とても不安になることがあります。小さな被害でまったく注目されないから、今回の被害が今後に活かされることはないのかもしれません。
こんなことで良いのでしょうか。小さなことがちゃんと行えないなら、大きなことに対応できない気がします。
通話インフラ
電気や水道に比べれば、通信ネットワークの一部の障害は、重大でないかもしれません。でも通話については、サービスの契約者だけでなく電話をかけた人にとっても障害で迷惑が掛かります。
それなのに、通信会社ではなく、サービスの契約者が通話(とメールの送受信が)できないことと、復旧の目処を公開している現状があります。この件は後述します。
システムは、構成する部品点数が増えたり、構造が複雑になるほど、システム全体が脆弱になるという感覚は常識的なものでしょう。
通信に関する障害は、近年の自然災害で脆さが露呈しています。古い技術で不便かもしれないけど、脆くないものは残しておくべきなのかもしれません。
黒電話
例えば、311(東日本大震災)により、黒電話が直接電話線に接続されている場合には、停電でも通話できることが有名になりました。
黒電話に比較すると、現在の家庭用電話は、複雑多機能です。電話機そのものが脆くて、停電時には使えないものが多いでしょう。しかし、下記のパナソニックの機種などは、多機能電話ですが通話可能です。(すべての機能が使えるわけではなく、通話できるという意味です)
停電でも使える電話機には魅力があるでしょう。下記のそれぞれのボタンは「停電時 使える 電話機」での検索になっています。
識者からのコメントから察すると、電話機が電話線に直接つながっているつもりでも、経路に光ファイバーがあり、その周辺の通信機器の電源供給が停電時も問題ないかどうかは分かりません。電話会社へ確認した方が無難でしょう。
IP電話は?
いつものバイク屋に、バイクの修理を依頼しようと電話してみると、電話が使えない旨の自動応答が流れます。(一般向けとは思えないセリフの自動応答なんですが、主旨から少し外れるので省略します)
バイク屋さんのWebページを見ると、13日(金)に復旧予定となっています。
業務用のインフラでは、Webページを更新できないであろう状況で、会社関係者の誰かが別のインフラで店舗のページを更新したのでしょうね。
通信会社ではなく、サービスの契約者であるバイク屋さんが通話とメールの送受信ができないことを公開しています。さらに、復旧の目処も。通信会社も情報を公開しているのかもしれませんが、私には見つけることができませんでした。
バイク屋さんは、営業しているみたいなので、連絡せずに直接店舗に行きました。すると大繁盛! 商売道具の電話が使えずに苦労していることでしょう。繁盛しているようで何よりです。
でも、なぜ復旧に5営業日も掛かるのでしょうか? 他の復旧作業で忙しいのでしょうか。
台風被害について、神奈川県内の話はそれほど多くありません。それでも多くの方がいろいろと忙しく対応されていることでしょう。でも、もう少し情報を公開して欲しいです。電話が不通である件は、アナウンスされていません。
通信会社も分からないし、障害の範囲についても、調べてもよく分かりません。
自動応答からはネットワーク機器の障害がうかがえます。インフラの詳細を公開してしまうと、攻撃される対象になるかもしれないという怖れで、情報の公開に慎重になっているのかもしれません。
しかし、やはり納得できないです。IP電話であっても、社会のインフラとして捉えて公開して欲しいです。
- 電話が使えないことは、アナウンスして欲しい
- 電話機能(IP電話?)が何で実現されているかに関係なく、社会生活では大切な電話と捉えて欲しい
- そうすれば通信会社を伏せて、不通の区域を公開できるのでは?
- 電話機能(IP電話?)が何で実現されているかに関係なく、社会生活では大切な電話と捉えて欲しい
- これっぽっちの被害で、復旧に5営業日掛けないで欲しい
- データセンターなど集約された主要な設備でも、同じように時間が掛かるのだろうか? それでは社会がマヒしてしまいます。
- 代替手段が欲しい
- バイク屋さんに黒電話があれば、臨時に使えたのだろうか?
- 事前に契約しておかないと無理ですよね?
- バイク屋さんに黒電話があれば、臨時に使えたのだろうか?
おわりに
結局のところ、今回取り上げたバイク屋さんの地域は、停電しているワケではなですし、ケータイがつながっています。ケータイがつながっているのだから、大騒ぎする話でもないのでしょう。
では、もしも、ケータイがつながらない障害が同時に起こっていたら、取り扱いが違うのだろうか? そうは思えないし、結局何も分からないです。
- 今回の件は、(台風でなくても)起こる可能性がある(ありふれた)障害なのか?
- それが起きると、復旧に時間が掛かるものなのか?
- 復旧に時間がかかるけど、通信会社は代替手段を提供しないものなのか?
- 今回はビジネス向けでないものをビジネスに使っていたのか?
- 大震災などの場合は、何が起きてしまうのか?
コメント
ライフラインの考え方を理解するのに一例を申し上げます。
通信において、、、
戦後の日本では、逓信省の考え方を学ぶ必要があるかもしれません。
戦時下において、戦場で通信が不能だったが為に人命を失う事が必要以上にありました。
ライフラインとしての音声通信には、堅牢なシステム構築を志す事になります。
電信電話債、加入権、施設設置負担金という名称が変わりながらも
初期に費用を必要とした電話サービスがスタートする事になります。
電話局というのは、
実は、とても複雑構造で建設されており、戦時下においては秘密拠点です。
長らく電話局の存在は、知る人ぞ知る程度の位置公開でした。
本記事の問いの回答には、下記のようなご理解を頂ければ良いかと思います。
電話局には、
発電機が必ずあり、
一定の時間は通信環境を整える為に充分な電力を
継続的にまかなえるようになっています。
昭和の時代、
発電関係機、交換機、契約電話機、音声通話全ての電力を賄うに充分な電力です。
当時の通信にはメタリック線しか有りませんので、
線を引き回してあっても、
通信電力は電話局から契約モジュラーまで全て電力線と同じように
金属線しかありませんでした。
ですから、雷で停電になっても、電話局の発電で音声通話が可能であったのです。
現代に於いては、光ファイバーを使った高速通信網を
ラストワンマイル含めて構築しようとしています。
デジアナ変換やルーターなど、
金属線による音声通話には必要なかった設備が
電話局から契約モジュラーに至るまでに存在するようになりました。
ましてや、コードレス機など近代的な機能を有する電話機には
別に電力が必要となりました。
結果として、通信が成り立たない、という問題は切り分け問題が存在し、
いろんな理由で通信が成り立たない場合がある状況になりました。
平成後期、契約電話機の規格は緩くなり、通信規格のグレードを意識する方は稀です。
ファックスも、テレックス時代から近年の状況に至るまで、
一般用(業務に使える)FAXと家庭用FAXの造りが全く違うのはその為です。
民営化前、黒電話、喫茶に有った様な公衆電話(赤電話)は
電電公社とのレンタル契約様のモノでした。
黒電話を現在使い続けるには、契約線を使い続けていても
アフターマーケットから調達する必要があります。
通信技師の使う
イヤーカフに電話機機能の付いたヘッドセット型電話機は
今も変わっていません。
かつての電電公社は民営化され、
いろんなモノづくりの精神は
経済論理に抗えなくなりました。
音声通話に必要であった交換機は、
保守部品が手に入らなくなる事が露呈しており、
契約数の減少により堅牢な後継機の開発は予定が有りません。
結果、堅牢な交換機を通過しない音声通話が増えて来ました。
つまり、単純に電力を供給出来たとしても
音声通話が不能になる世界の到来と相成りました。
電力供給だけの問題ではない、
通信可否が色々と存在しています。
理解の一助となれば、と思います。
もう一つ、データセンターについてですが、
恐らく全てのデータセンタがゼロキロ契約の場所に有ると思いますが、
キーは無停電電源の設備契約がどうなっているか、は重要なポイントです。
セキュアというのは、戦時下や非常時の想像がどの程度できるか、が重要です。
平和ボケ、、と良く仰った先輩方がいなくなる、という事はこういう事かもしれません。
そんなことをコメントしていると、
陰謀論や、精神病と関係させてくる方が多いかもしれませんね。
堅牢なシステムには費用や手間というか作法が必要です。
平和な現代的には、非常時を乗り切れる余裕のある誰かが救いの手を差し伸べてくれるさ、という考え方です。
非常時といっても、想像されうる多くの問題は数日の間に諸問題は解決への道を辿ります。
数日をどの程度乗り切るか、が個人で出来る建設的なセキュアの考え方でしょうね、、。
K様、ご丁寧な解説をありがとうございます。
現代を生きるには、平和ボケが足りないと痛感しました。