学校体育館の開放では妙なことが起きている

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Sasin TipchaiによるPixabayからの画像

この記事は、市民が有効活用するための、公共施設(学校体育館)の開放についての雑感です。

公共施設の有効活用が、ゆっくりと確実に進んでいます。例えば、学校の体育館を公共施設の開放として市民に貸し出している市区町村は、多くなっているのではないでしょうか。 わたしにとっては、使える体育館が増えるので、とてもありがたいです。

しかし、施設開放の実態には妙なことが沢山あります。

本記事は、特定の個人や団体を非難することが目的ではありませんので、事実を元に分かりやすい話に変更してあります。


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支払い

公共施設は公共のものですから、有効活用として「空いているときには市民に開放する」ことが当たり前との考えが行き渡ってきました。

利用したときには、受益者負担の考えで掛かる費用の一部を、利用者が負担している地区もあると思います。地区によっては、施設使用料ではなく、電気使用料として利用者が納めています。

その支払いですが、学校施設には費用を徴収する仕組みがありませんので、特定の金融機関に振り込んだり、利用券を購入して提出する仕掛けになっていることでしょう。

支払い方法

一般社会では、通常、様々な支払い方法が選択できます。カード決済/コンビニ決済/銀行振り込み・・・など。そして、Webシステムを通じて決済できるのが普通です。しかし、公共施設の開放においては、限定された支払い方法しか用意されていません。特定の振り込み方法でしたり、利用券を購入して利用申請書に添付したり・・・。

正直なところ、とても不便です。もちろん、ちいさな市区町村がWebシステムを用意するのにムリがあるのは、十分承知しています。しかし、日本全国どこにでもある学校施設の開放ですから、システムも同じものが使えるのではないでしょうか

利用券を購入しようとしたら、品切れしていることが頻繁に生じています。「予約して欲しい」と言い出す店舗もあります。使わせないための嫌がらせのように感じるときがあります。

振り込みでは、便利でない金融機関が指定されている場合があります。利用者は苦心して振り込んでいますが、仕組みを決めている人たちは、そのことに気が付かないでしょう。

無駄に面倒な手続きになってしまっているのではないでしょうか? とても単純な話なのに、実際に単純な仕組みにできないのはなぜなのでしょう。社会が成熟していない気がします。

費目は?施設使用料?電気使用料?

学校施設は、そこに通う生徒のためのものです。ですから、施設が空いていてるから開放しても、生徒のための備品を開放で使うことはできません。例えば、ボールやシャトルは使用できません。理屈としてはその通りで、十分に納得できます。まったく不満はありません。

バスケットボールのゴールやリングネットは使用しても構わない?

受益者負担を徹底するなら、使用料を支払いたいです。しかし、細かい使用料に応じていくと、複雑になり現実的ではないのでしょう。 ゴールやリングネットの使用料を払っているなんて、聞いたことはありません。

体育館(床、天井、壁など)は、ほとんど消耗しません。ですから、その分の利用料を徴収するのは無理があるでしょう。理屈にも合わないですから、徴収していないところがほとんどでしょう。

でも、リングネットはゆっくりと劣化して、いつかは切れると思います。

電気使用料は、照明が使えることが前提?

電気使用料(照明の電気代)は、徴収して構わないものだと感じています。実際に徴収しているところがあります。しかし、電気使用料として徴収するのなら、照明が点く状態にメンテナンスされている必要があります。照明のランプが切れているのに、電気使用料を徴収したら詐欺みたいです。

短期間のランプ切れならば、仕方が無いでしょう。長期間ならば、滑稽に感じます。

しかし、照明ランプの交換用設備(昇降機)が老朽化で壊れてしまい、予算の都合で昇降機が治せないとしましょう。この場合、照明ランプを交換するには、お金を掛けて足場を組まなければなりません。足場を組む予算はもちろんありません。

このような状況での電気使用料の徴収は、難しいものになると思います。照明ランプの交換は容易にはできないし、足場を組んでの交換費用を利用者に負担してもらうことも難しい。切れているランプ分を減額しようにも、学校の都合で減額することは容易にはできないでしょう。解決策がありません。

民間では当たり前に対応できることが、仕組みのために対応できないのです。

壊れた時計

体育館の時計が壊れたら、学校の予算で修理します。大きい掛け時計の修理は、場合によって高額になります。学校の運営では、予算がなければ、予算がつくまで待つことになります。

施設開放で体育館を使用した場合、時計の利用は施設開放の一環でしょう。だけど、時計が壊れているのなら、使えないままなのです。

時計が使えないからといって、実際には、特別不自由はないでしょう。だけど、施設利用料を徴収している場合には、妙な感じがします。

時計は一例であって、カーテン、窓ガラスなど備品をいろいろと想定していくと、そのおかしさを感じられると思います。

使えない駐車場

社会の柔軟性が失われているためか、どこかの学校での事故のために、教員さえ通勤に車が使えなくなっているという話を聞きます。学校に駐車場がなかったり、近隣の環境の問題があって、車の乗り入れがダメなら理解できます。しかし、特別な事情がないのに、一律NGらしいです。

学校に駐車場があるのなら、教員の利便性のために車通勤をOKして良いのではないでしょうか? 学校内での事故が原因で、一律”車通勤”禁止にするのなら、街中の自動車文化を否定しているように感じます。行き過ぎた管理社会に感じます。

互いに調整しながら、個々が生活しやすいようにしていくのが、社会だと思います。しかし、現実は反対で、「一律〜」な束縛が増え続けている気がします。

各地の施設開放でも駐車場が使えないことが増えているのではないでしょうか。

空いている駐車場があるのに。 夜間の開放なら生徒もいないので、生徒に危険が及ぶことはないのに。

使えない理由が無さそうなのに、一律NGにしているように見えます。これでは、行き過ぎた管理社会に感じます。

柔軟な社会を!

昔は、費用が徴収されることもなく体育館を使用していました。車やバイクを学校の敷地に乗り入れていました。問題が生じたことはありません。近隣からの苦情も聞いたことがありません。

体育館を使用中に、稀なことではありますが、「ちょっと照明ランプを交換させて!」と学校事務員に言われ、プレイを中断して照明ランプの交換をしたことがあります。もちろん、交換作業で手伝えることは手伝います。

リングネットの交換作業を手伝ったこともあります。

費用を徴収し始めた頃から、少しずつおかしな方向に進み始めた気がします。相互理解の元に、協力して有効活用していたものが、「何のためのルール?」な規則に縛られて、堅苦しいものに変貌していく気がしています。

規則で縛らなくても、互いに心地良い社会は実現できると思います。

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