誰のための大会?

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Peggy und Marco Lachmann-AnkeによるPixabayからの画像

東京近郊にある大きな都市のシニア・バスケットボールの大会に行ってきました。誰にも迷惑を掛けたくないので、都市名やカテゴリー(何歳以上)は伏せます。

高齢化社会を迎えて、シニアのスポーツ大会が盛んになるのは、とても良いことでしょう。しかし、現場では、なぜか落ち着かない気分になることがあります。


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誰のための大会?主催地区のため?

このカテゴリーができた当初から、他地区からのチームや選手の出場を認めています。大きな都市であっても、地区内だけでは年寄りのバスケットボールチームやプレイヤーが足りないのでしょう。

そのため、年々参加チームが増えています。大会が盛り上がるのはいいことでしょう。でも、競技レベルも上がり続けてしまうのです。

現在、上位チームは他地区の、大きな大会を見据えての練習・・・実戦練習(試合)に餓えたチームばかりです。あるいは、主力メンバーが他地区からのヘルプ選手で構成されているチームです。

こうなってしまうと、主催地区の選手が上位チームにほとんどいないように見えます。主催者にとって、それは望んでいたものなのでしょうか。

競技スポーツは、勝敗を競ってこそ愉しめるものです。勝たなければ愉しめないものではありませんが、もしも勝者に主催地区が絡んでいないとなると、誰のための大会なのだろう?と思わずにはいられません。

誰のための大会?高齢者のため?

勝敗を競った試合で、接戦になってしまうと、プレイイング・タイムに偏りが生じてきます。戦略や戦術に基づいてプレイイング・タイムが決まるので仕方がない話ではありますが。

でも、プレイイング・タイム0分の選手を多数見掛けます。

プレイイング・タイムが与えられればOKなどという単純な話ではありませんが、高齢者のための大会なのに、チーム内での高齢者が参加できない皮肉な現象に見えます。

だからと言って、誰を使っても勝敗に影響しないように配慮した「エンジョイピリオド」を設けても解決にならないと思います。その辺りの雑感は下記に書きました。

これは、本質的に難しい問題なのかもしれません。

マナーを守ろう!

遠方からも参加するチームがあり、大会そのものが栄えていくことを単純に喜べば良いのかもしれません。しかし、勝者は勝者になる前から、それらしい振る舞いをして欲しいです。

例えば、強いチームの優秀なプレイヤーが、帯同審判に噛み付いてはいけないと思います。強いチームや優秀なプレイヤーは賞賛される対象であるべきで、若い人の手本を担っていると思うのです。

仮に帯同審判がミスジャッジをしても、抗議は礼儀正しくあるべきだと思います。(文字通り)上から睨みつけて脅すような素振りに解釈されるような言動は慎むべきだと思います。我慢ならない誤審で、許せない思いがあっても、抗議は礼儀正しくあるべきです。

そうでないと、主催者側から見れば、他地区からの参加許可を後悔するのではないでしょうか。強豪チームが参加してくれてどんなに大会が栄えても、勝敗を求め過ぎてカリカリした雰囲気を望む主催者はいないと思います。

このままでは「おっさん達は、文句がうるせぇから(笛を)吹きたくねぇよー!」と言われるのではないかと心配です。手本であるべきなのに、嫌われる存在になろうとしているように見えます。

誤解かもしれない

もしかしたら、私の理解が浅はかなのかもしれません。

帯同審判に不適切に激しく抗議しているように見えても、実はプレイヤーは十分に落ち着いていて、試合の決着まで見据えた上で、「今ここで(テクニカル・ファール覚悟で)激しく主張する必要がある!」と判断されているのかもしれません。

勝つために必要なことを、何の迷いも無く実行しているだけなのかもしれません。そうなのだとしたら、駆け引きを先読みしているという点で、高度なものを見たのかもしれません。

しかし、帯同審判にとっては、そのレベルに付いて行くのは困難ではないでしょうか。理解もできないかもしれません。そうすると、やはり「おっさん達は、文句がうるせぇから(笛を)吹きたくねぇよー!」となってしまいそうです。そうなることは誰も望まないのではないでしょうか。

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